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徳川ゆかりの水戸の街歩き [茨城・群馬・栃木]

徳川ゆかりの水戸の街歩き


先月(2021年9月)に仕事で水戸へ行く機会がありました。
今回は日帰りでなく数日滞在しましたので、仕事の合間に街中を歩いてみたのですが
緊急事態宣言が出ていたからか繁華街と言われるところはひっそりとしていました

さて、水戸といえば水戸黄門、納豆が連想されますよね。水戸黄門といえば徳川家光です。
水戸徳川家は、常陸国水戸にあった徳川家の一支系で徳川御三家のひとつです。
徳川家康の十一男徳川頼房を家祖としています。



写真の水戸城大手門は令和2年に復元され公開されました
どうりで新しい感じがしたんですよね

それでは街歩きスタート
何日かに分けて訪れた記録をまとめてご覧いただきます

鹿島神社 第九代水戸藩主徳川斉昭が弘道館建学の精神の象徴として創建


水戸駅近くの弘道館を見てみようと行ってみたら休館で隣接の鹿島神社を参拝しました

鹿島神社は水戸藩第9代藩主徳川斉昭が創設した藩校弘道館の主要施設として建てられました。
鹿島神社の祭神は、天照大神の国土平定の祖業に貢献した武甕槌命(たけみかづちのみこと)で
常陸一の宮である鹿島神宮から分霊を勧請して祀ったもので水戸市指定文化財となっています。





私が水戸を訪れた時期は9月中旬で緊急事態宣言真っ只中のため
弘道館はもとより、偕楽園など入場施設はほぼ休館となっていて
かろうじて鹿島神社を参拝するにとどまりました

大工町は水戸きっての歓楽街


江戸時代に大工が多数住んでいた事からつけられた町名です
大工町商店街は旧国道6号と国道50号が交差する大工町交差点を中心とする商店街ですが
実は水戸きっての歓楽街であり風俗街で、今はかつてほどの繁華は見せていませんけど
多数の風俗店や戦前は料亭やお茶屋などが並んで芸者などがたくさんいた町でした。









曇りの日の昼間に訪れたからでしょうか
人影もなくひっとりとしていてちょっと不気味な感じがしました
同僚に茨城大学出身者がいたので聞いてみましたが
彼が学生だった30年ほど昔はそれなりに賑わっていたみたいです

レトロな泉町会館ビルと徳川慶喜像


1955年(昭和30年)に建築された泉町会館は昭和の雰囲気を色濃く残す外観で思わず足を止めました
現在は耐震補強などをされて、内部は現代風に改装され1階にはワインバーが入ってましたが
残念ながら私が訪れた時は営業してませんでした







国道50号線を水戸駅に向かっていると交差点に徳川慶喜の銅像がありました
徳川慶喜は、天保8年(1837年)9月29日に江戸小石川の水戸藩邸にて第9代藩主徳川斉昭の七男として生まれました。
1866年慶喜公30歳の時に徳川第15代将軍になり1867年に大政奉還を行いました。
大河ドラマで草彅剛さんが演じられてたのが記憶に新しいです。ちなみに斉昭を竹中直人さんが演じていましたね。

水戸東照宮と宮下銀座商店街


今回の水戸歩きの終点、JR水戸駅手前にレトロな商店街がありました。
やはり緊急事態宣言下でどこのお店もシャッターを下ろしまるで廃墟の様でした





水戸東照宮 権現さん


元和7年(1621年)に家康の十一男で水戸藩の藩祖である頼房が
父の家康を祀るために景勝地の霊松山に創建しました
地元では一般に権現さんと呼ばれているようです





立派な社殿、静かな境内でしたが街中の静けさとは違った空気感が漂っていました

東照宮境内には天満宮が合祀されてました








こちらは平日の昼間にもかかわらず参拝客が絶え間なく訪れていました

最後に


茨城県は北関東にある太平洋に面した縦に長い県で、水戸の納豆、霞ケ浦の蓮根など農業県のイメージが私にはあります。
筑波山や袋田の滝など有名な観光地はあるものの、実際県庁所在地である水戸に降り立ったのは初でした。
水戸城がある水戸駅周辺よりも県庁がある西側のほうが栄えた町ですが、比較的小さな町という印象です
前橋や宇都宮といった他の北関東の県庁所在地と比べると高い建物がそれらの町より少なく落ち着いた町と印象が残りました
残念なことに緊急事態宣言下でほぼ全ての観光施設が休館していたため町の表面しか見れなかったのが心残りです
本来であれば、NHKの朝ドラ「ひよっこ」の舞台が茨城県の北部で勤務明けに立ち寄る予定でしたが台風の接近で断念したのも薄い印象になってしまった一因です。

という事で、何かの機会があればそれほど遠い所でないので、もう一度訪れてみたいと思う所でした。
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