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白みりん発祥の地 近藤勇陣屋跡がある街 流山に行って来た [千葉・埼玉]

千葉県の江戸川沿いにある流山に行ってきました




先月になりますが、11月の中旬に千葉県の流山に行ってきました。
私の住んでいる東京の下町からは自転車でおよそ1時間の距離です。
小春日和の陽気に誘われて水元公園まで行くつもりが江戸川を越えて行き着いたのが流山でした。

流山ってどんなところ?


最近、桐生とか富士吉田とかメジャーではない所へ出かけてますが

江戸川や利根運河を利用した水運で栄えた白みりんの産地として知られ
幕末期には新選組が本陣を置いたが新政府軍に包囲されたため隊長の近藤勇が出頭し、
盟友土方歳三との離別の地となった。(Wikipediaより)

といった歴史のある町、それが流山市です。





今回は一旦流鉄流山線の流山駅からスタートすることにしました。
ガイドブックも下調べもしないで訪れましたので
駅前にある市内の名所の地図をスマホに記録して、それを頼りに市内を回りました。



みりんの工場が今でもあります。
野田にあるキッコーマン醤油の子会社となりましたが万丈味醂が流山キッコーマンとして
いまでも白味醂発祥の地で製造を続けています。
工場見学は行っていないようなので塀の外側からタンクの写真を撮りました。
写真からは全く伝わりませんが、甘くほのかなお酒のようなみりん特有の香りが漂っていました。

※酒造りを営んでいた堀切紋次郎が白みりんの醸造に流山で文化11年(1814年)に成功したのが発祥だそうです。

レトロな建物が点在しています


江戸川に沿ったこの旧県道沿いの地区(流山広小路周辺)は醸造業の蔵や各種の商店が建ち並び、近郷近在から人々が集まる賑わいをみせていました。



呉服新川屋
明治23年(1890年)に建てたもので典型的な土蔵造りの商家です。



丁字屋
大正12(1923年)年築の町家造りの建物で、当時足袋屋だった屋号「丁字屋」はそのままに
お洒落なレストランとして営業しています



見せ蔵
江戸から明治にかけて店舗兼住居として建てられた土蔵を「見世蔵」と呼んでいたそうです。
こちらでは、流山市在住の万華鏡作家中里保子さんをはじめ、多くの作家の万華鏡作品の展示や販売をしています。



近藤勇陣屋跡
流山は新選組が屯集した地で、最後の陣営地となりました。
当時陣営地が敷かれたのは長岡という酒造家で、現在では酒類問屋になって陣屋が残っています。

浅間神社と常与寺


浅間神社は富士信仰のため根郷地域の鎮守様として、正保元年(1644)創建されたと伝えられています。
本殿の裏手には約8mの高さの富士塚があります。









富士塚






常与寺は鎌倉時代の嘉暦元年(1326年)に創建された日蓮宗の寺院で、境内には「千葉師範学校発祥の地」の石碑がありました。

赤城神社


流山にあるこの赤城山は海抜15メートルのお椀を伏せたような小山で山頂には赤城神社が祀られています。
赤城神社の石碑には、上州(群馬県)の赤城山が噴火し土塊がここに流れ着いたと記されています。
山が流れてきたから 流山 という地名がついたという伝説があります。



この大注連縄は長さ約6.5メートルで太さ約1.5メートル、重さは約500kgもあります。
大しめ縄行事は、10月の第3土曜、日曜日の祭礼に先立って行われます。





































なかなか見ごたえのある神社でした。

週末の休日の午後に、お昼を食べてから思い立って出かける。
そんな気軽な気持ちで出かけてみました。

赤城神社は一眼レフでじっくり撮ったのですが、他はスマホで流してしまったので
次回訪れた時はスマホでしか撮影できなかったスポットをじっくり撮影したいと思いました。

★印は一眼レフで撮影。他はスマホで撮影しました。
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